経歴
1954年、福島県いわき市出身。
1975年に「寿司研究所」に入会、5年間にわたり寿司の奥義を学ぶ。
1980年より割烹料理屋「網元本店」で修業を積み、1982年に東京都目黒区の秋田会席料理店「ふるさと」に勤務。そこでの高い評価をうけて、同年マレーシアにあるShangri-La's Rasa Sayang Hotelでのポジションをつかむ。
1987年、㈱廣済堂グループのシカゴの日本食店に移り、後にオーナー・シェフとなる。
2001年3月より、イリノイ州ストリームウッドに「乍久真レストラン」をオープン
乍久真シェフと数々の著名人 数えきれないほどの著名人達との出会いを通して、料理人としての腕を磨き、キャリアを積み重ねてきた乍久真シェフ。多彩稀なる料理の腕前と、気さくな人柄により勤務当初から著名人との繋がりはあったが、マレーシアのシャングリラ・ラサ・サヤンホテルでは、世界の国王をはじめとする皇族や日本の総理大臣などVIP級ゲストの料理を手がけ、日本を代表する著名人や大企業の会長社長からの絶大な支持と信頼を得る。当時、同ホテルで毎年行われていた本田技研工業㈱の新年会のメニュー考案については、創業者の本田宗一郎氏と直接携わり、60年代の日本を一斉に風靡したグループ・サウンズ「ブルーコメッツ」の井上忠夫氏や俳優の永島敏行氏とは友好関係を結ぶほどに。シカゴに移った後も、㈱廣済堂※の創業者である桜井義晃会長との縁を通して日本の大臣や皇室関係者、大企業の重役たち、名の知れたセレブ達と知り合う機会に恵まれる。1995年に紀宮様がウィスコンシン州Barabooにある国際ツル基金をご訪問された際は、料理長として指名をされた。東京で出会いシカゴで再会を果たしたプロゴルファーの青木功氏とは、今もなお深い交友を築いている。2005年よりシカゴ、ホワイトソックスに所属していた井口 資仁選手との繋がりは強く、シカゴ滞在中の井口選手の胃袋を支えた。2005年のホワイトソックスの優勝時には、試合前にチームに差し入れた乍久真シェフの寿司が大きなパワーの源になったと、井口選手の叫んだ合言葉「寿司パワー!」が、地元のメディアでも大きく取り上げられ一時話題になった。
※㈱廣済堂:印刷事業を中核にパソコン関連やゴルフ場、ホテルなどの経営、それに芸能プロダクションなど様々なビジネスを手がける大手企業グループ
一流の料理を食べ慣れているグルメな著名人達の舌をも虜にする、乍久真シェフのお料理は、和食の基本を大事にしつつも、斬新な味つけや盛り付けで常に感動を与えてくれます。ある時は芸術のような美しいプレゼンテーションで、ある時は予想のつかない味覚のハーモニーで、食の素晴らしさと美味しさを今までになく実感していただけることでしょう。
乍久真シェフからの一言
全てのお客様に、常に最高級のサービスとこだわりぬいたお料理でおもてなしいたします。これからも食に対する好奇心をもち続け、情熱をかけた極上のものを作りだしてまいりますので、是非一度ご来店くださいませ。
日本語での紹介ページ
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